TEDxtokyo yzに出ました

事後報告になってしまいましたが、3/5にTEDxtokyo yzというカンファレンスにスピーカーとして参加し、10分程のプレゼンテーションを行いました。

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http://www.tedxtokyoyz.com/

主に作品について、どうしてそれを制作したか、それを制作して何を変えたいか、という話をしました。
このために2月中はほぼ毎週TEDxtokyoのチームの皆さんと打ち合わせを重ねてきたんだけど、本番は緊張して全く練習通りにいかず、でも「保存と再現」の犬の作品を持っていったり、制作中の画像のスライドのおかげで反応があり、完全に犬とユニコーンに救われた形になりました。ありがとう・・・。特にユニコーン制作中の画像スライドで反応が大きかったのは嬉しかったな。

観客(オーディエンス)の皆さんは、私のおぼつかない話からしっかり大事な部分を汲み取ってくれていて、終了後も沢山感想を伝えてくれて本当にありがたかったです。
当日までの打ち合わせも楽しく、目の前に作品が無い状態でお互いについてよく知らない人同士で作品や制作の密な話をするというのが定期的にやりたいくらい新しい発見があったりして良かったです。河村さん、多紀さんを始めチームの皆さん、ありがとうございました。他のスピーカーの皆さんも、チームの皆さんも、もちろんオーディエンスの皆さんも、繋がりを持てたことが嬉しかったな。

以下、TED用のスピーチ原稿を載せときます。
「保存と再現」の話→制作の2つのポイント→「蘇生するユニコーン」の話という感じです。
特に中盤の制作の2つのポイントはあんまり他で話してないので重要です。

3/5 TEDxtokyo yz 原稿

これは私が制作した作品です。「保存と再現」といいます。
白い犬がコンプレッサーからチューブを通して空気が送られその空気によって腹部がゆっくりと上下しています。鑑賞者はこの犬が本物か偽物か、剥製かそうではないか、生きているのか死んでいるのか、眠っているのか私に聞きます。今日は、どうして私がこの犬を作ったか、この犬と何を変えたかったのか、そして今どういう活動をしているか、お話しようと思います。

この作品を制作した当時、私の実家には10歳になる犬がいました。マルチーズの女の子で、名前を「りんご」といいます。うちにくる前からりんごという名前で、事情があって飼えなくなった父の知り合いから譲り受けた子でした。普段呼ぶ時は「りん」と呼んでいたので、今日この場でもりんと呼びたいと思います。
うちに来て5年が経ったとき、りんは壊死髄膜脳炎という病気にかかり、寝たきりの状態で暮らすようになりました。食欲があっても自分でゴハンを食べたり水を飲んだりすることができないので、毎日三回、母親がスプーンで食事を与え、スポイトで水を飲ませてあげる、動物向けの介護を行っていました。病気の発症当時は余命3ヶ月だと言われましたが、それから5年間、家族に愛され守られながら暮らしていました。

私はりんのことが本当に大好きで、世界で一番大切でした。りんは私にとって、世界で一番の友達であり、妹であり、宝物でした。りんを奇跡的に生かしている、彼女の身体の仕組み自体が宝石のようで 彼女の身体はその宝石が詰まった宝箱のように思えたのです。
りんのことが大好きで、ずっと一緒にいたい。だから、死んでほしくない。失いたくない。別れたくない。
りんがいつか死んで、いつかその存在を失ってしまうということは当時の私にとって最大の問題でした。死に向かって行く彼女を見守るだけの生活は堪え難く、彼女やになにかをしてあげたい気持ちと、どうにかしてこの悲しい現状を変えたい、死に向かって行くりんと私の間になにかを残したい、そういう気持ちでいました。

私はまず、りんを生かしている身体がどういう構造になっているのか知る為に、彼女の身体の寸法を正確に測り、マルチーズの骨格標本と犬の解剖図を参考に設計図を作りました。その設計図を元に、骨を作って、内臓を作って、筋肉や皮膚を作って今の彼女の姿を再現していきました。そして制作した肺にコンプレッサーをつないで、呼吸をさせました。制作によって彼女の姿を骨から再現することで、当時の彼女の姿をこの世界に保存し続けようと思ったのです。
制作過程はなんだかショッキングに見えますが、私にとってこの作業は、どうしようもなく悲しい現状に立ち向かう、希望の行為そのものでした。骨から作り、最終的に呼吸を行う制作の流れが、死から生に向かっていく、蘇生のための儀式のように思えたのです。

この一連の流れが「保存と再現」という作品でした。この「保存と再現」という作品では、死に向かう愛犬を、なんとかして死から生に向かって行く、蘇生し、その姿を現世に保存することで、 死という抗いようのないものに、「保存」と「再現」というアートの特性を持って立ち向かう、そういうことを行いました。

私はこの制作によって、自分の作品制作によって2つの大事なことを発見しました。
1つ目は、対象の生物を保存するために外見だけを作るのではなく、骨や内臓などの身体の内部から再現していくことの重要性です。
その姿形を未来永劫残すために、その姿を制作によって複製するという行為は、過去人類が、特にアーティストや彫刻家がなんどもなんどもやってきたことです。例えばペインターが肖像画を描いたり、彫刻家が石を彫って、その一瞬の姿を永遠に残してきました。
しかし私は、その外見だけを模写するのではなく、その内部、骨とか、内臓から作るということがとても大事だと思いました。なぜなら私はりんの外見だけを美しいと思っていたのではなく、冒頭述べたように、りんを生かしている身体の仕組みこそが、本当に価値のある美しいものだと思っていたからです。

そして2つ目は、苦しみや悲しみ、現状ある問題を解決するための装置として作品を制作する、ということです。りんの死という差し迫った問題をどうにかするために作品を制作したように、自分にとって難しい現状をどうにかするために作品を制作する。それはその問題解決のための装置がそのまま作品になるのではなく、問題に対する考え方からアウトプットとしての作品まで「救済の仕組み」をつくることが私にとっての作品制作なのではないか、と考えるようになりました。
それは例えば、ファンタジーやSFの物語で、絶体絶命の場面で登場するその状況を好転させるためのキーアイテムのような感覚に近いです。実際私はこの犬を作っているとき、ファンタジーの物語に登場する主人公のような気持ちでいました。

さて、この「保存と再現」は、私と愛犬のすごくプライベートな問題を変えるための作品でした。そしてこの作品を作り終えたあと、愛犬を失った後の世界について考えるようになりました。この子を失ったあと、私はその後どうやって生きて行けばいいんだろう?この子がいない世界で、どうすれば夢とか希望とか愛する気持ちとか、そういう前向きなものを失わずに生きていけるんだろうか?

りんがいなくなったら夢や希望を失うのは明らかだったので、私はこの次に夢や希望を蘇生しなければいけないのではないか?と思うようになっていました。
ここで「夢や希望を蘇生しなければならない」という一つの問題が生まれました。先ほど述べた、「問題を解決するための装置として作品制作をする」の、問題が生まれたわけです。私がこれからも生きて行くためには、その問題を解決しなければなりません。では、「夢や希望を蘇生する」ということは、どういうことでしょうか?

私は夢や希望の象徴として、ファンタジーやSF作品に登場する、実在しないとされている架空の生物について考えるようになりました。それが浮かんだのは、りんが病気によって衰弱していく姿が、犬というよりもドラゴンとか妖精とかユニコーンのような姿に見えていたこと、そのなかでもユニコーンは、「ユニコーンの血を飲むと永遠の命を得られる」という逸話があり、ユニコーンがいれば、夢や希望や大切な存在を失うことへの恐怖から救われるような気がしたからです。

もし、ユニコーンを骨から作り「蘇生」させるとしたら、それはどういうことでしょうか。「蘇生しないといけない」ということは、現段階ではユニコーンは死んだ状態にあると考えることができます。では、ユニコーンはなぜ死んだのでしょうか。それは、老衰によるものなのか、または事故なのか、それとも自殺なのか、もしくは他殺なのか。そういった問いを繰り返しているうちに、ひとつの考えが浮かびました。殺したのは私自身だったのではないか、ということです。

それは、りんを失ったことで私のなかの夢や希望が失われ、それと同時にその象徴であるユニコーンも息絶えたのではないかということ、またそれとは別に、これは皆さんにも共通するかもしれない話ですが、もう一つ考えられる要因がありました。ユニコーンのような実在しない生物は、小さい頃は存在を信じていました。物語に登場するような生物と、動物や人間などの実在する生物との間で区別が無かったのです。しかしいつからか、その生物は実際には存在しないのだと知りました。その生物が存在しないと知った時点で、その生物は現実世界で居場所を失い、脳内に屍となって横たわっているのではないかと思いました。

私はこのユニコーンをなんとかして生き返らせたい。なぜなら、ユニコーンを作って呼吸をさせる、架空の生物を制作によって実在させ、人工呼吸器によって息を吹き返させるということは、私自身が失った幻想や、夢や希望を蘇生させるということだからです。私は現実世界で、彼らに、実在しない生物に会いたい。

そのために、今度はユニコーンを骨から作り始めました。犬の作品では再現しきれなかった、骨や内臓の形状、例えば犬の作品の関節にはヒンジをいれて曲がるようにしていましたが、今回は実際に軟骨や靭帯もいれて、関節が曲がる仕組みを生物の身体の構造に忠実に制作していきます。これは、より再現の質を高めて、造形による生体練成を行うという試みでもあります。

この一連のプロジェクトは「蘇生するユニコーン」というタイトルを付けて、現在骨と軟骨の制作を進めています。骨から内臓、筋肉と制作を進めて行くうちに身体の内部は見えなくなってしまうので、制作途中をWebや展示で発表しています。

これから制作を進めるうちに、肋骨のなかに内臓が仕組まれ、筋肉が被さり、どんどん解剖途中のようなショッキングな光景になっていくと思います。でも、それこそが重要な過程なのです。なぜなら私は、夢や希望を蘇生するとき、夢や希望をただの綺麗事のように、絵空事のように語りたくはない。悲しい、苦しい、ショッキングな現実を知った上で、それでも夢や理想を信じることが大事だと思うからです。苦しみや悲しみ、現状ある問題を解決するための装置として作品を制作していく、アートの特性を武器にして「救済の仕組み」をつくることが私にとっての作品制作なのです。

それを気付かせてくれたりんには、深く感謝しています。今日も彼女のことを思いながら、制作を続けています。