「保存と再現」について

画像: 平野真美 作品 「保存と再現」

<2015年当時の文章>
愛犬は今年で10歳になる。
彼女は5年前から骨髄の病気にかかり、自分で歩いたり、食べたり飲んだりができない寝たきりの状態にある。視力がなく、聴覚はあるかどうか分からない。日々確実に弱っていきながら、家族に愛され暮らしている。

私はこの犬のことが大好きで、離れたくない、ずっと一緒にいたい、死んでほしくないと思っていた。彼女と一緒にいる時間はとても幸せで、離れるときはこれが最後かもしれないと思い、とても辛かった。少しずつ死に近づく彼女とこの状況に対して、なにかしなければと思っていた。

そして、彼女の身体の正確な大きさや、身体の構成ついて調べ始めた。
彼女の骨格や内臓、筋肉や皮膚など、彼女を構成する要素をできる限り全て制作することで、彼女の今の姿を現世に保存しようと考えたのである。また、制作によって彼女の姿を保存できたら、制作した肺に人工呼吸器を繋ぎ、呼吸する姿まで再現しようと考えた。

画像: 平野真美 作品 「保存と再現」について

制作は骨格から始めた。骨は死の象徴であり、私たちの身は最終的に骨になる。骨格から作り始めることが、死から生へ向かう、蘇生のための儀式のように感じた。

画像: 平野真美 作品 「保存と再現」について

筋肉や皮膚は、やわらかいシリコンのような素材を使った。撫でたときの感触も再現し、手足の曲がりや呼吸による腹部の上下も可能にした。

骨や内臓や筋肉は、制作が進むにつれ見えなくなり、最終的には皮膚に覆われてしまう。しかし生きる姿を保存するために、外見だけを再現しようとは思わなかった。骨から作る儀式のこともあったし、何より彼女を生かしている構造こそ、この上ない大切な宝物のように思えた。その構造によって、彼女は今苦しみ、しかし生きている。

画像: 平野真美 作品 「保存と再現」について

内臓や筋肉、皮膚を制作し、肺には人工呼吸器のかわりになる小さなエアーコンプレッサーを繋いだ。
空気を肺に送り込み、腹部が一定間隔で上下すると、だんだんエアーコンプレッサーの熱が移り、犬の身体が暖かくなってきた。

画像: 平野真美 作品 「保存と再現」について

制作が終わり、コンプレッサーによって呼吸を続けるこの犬を見ると、単なる愛犬の複製物とは違う、奇妙に独立した生物のように思えた。愛犬とはよく似ているが、この生物にはこの生物の、独立した意識を持っているように見えた。
そして、私はこの犬の神様だった。私はこの犬の生死をコントロールすることができ、骨折したり、肺が破れたりすれば、それを治すことができる。
犬にとって飼主は神である。この犬にとって私は絶対的な存在であり、私はこの犬を宝物のように思った、

制作から日が経ち、愛犬は今も家族に愛されながら寝たきりの生活を続けている。
これを制作した当時から見ると、彼女は確実に死に近づいている。体力が衰え、毛が減り、少しずつ弱り死に近づいていくその姿が、作品の犬に重なってみえた。力なく呼吸する姿が、作品の犬そのものだった。
生きる彼女を保存しようと作った犬のはずが、なぜか、彼女のほうが作品の犬に近づいていく。制作当時より、衰え弱り死に近づいた彼女のほうが、作品の犬にとてもよく似ている。

制作中の作業机の上は、一見すると解剖実験をしているようで、この犬を生かそうとしているのか、それとも殺しているのか分からなくなるような瞬間があった。完成した姿も、生きているか、眠っているか、死んでいるか、判断がつかない。しかし私は彼女との永遠を願ったし、骨から制作を始めた一連の作業は、私にとって希望そのものであった。
この犬は今も、生死の境で横たわっている。横たわる彼女に、私は静かに空気を送る。